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希土色の刻

KidocolorOhmichi's Reminiscences

拝啓 “あの”時代の自分へ

私が1984年12月に、有楽町ニッポン放送で入門を申し出てから早、2014年で30年の歳月が経とうとしている。

当時ビートたけしは37才。漫才から離れ、たけし軍団とともにコントや新たなバラエティの途を模索していた時代。しかし、世間の評価はまだまだだった。

そして翌年の1985年から怒濤のごとく新番組がスタートするや、各局8時台すべてを視聴率トップで制覇するという、まさに「バラエティの黄金期」を迎える。

糸井重里をして「あとは総理大臣になるしかない」と言わしめた絶頂期。

しかし好事魔多し。当時群雄割拠であった写真ゴシップ誌にキャンペーンを張られ標的にされた挙げ句、そこから端を発した講談社襲撃事件で、タレント活動は謹慎という形で中断を余儀なくされる。

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半年後に、復帰はしたが事務所も変わり、世間の熱は一時ほどではなくなり、どこか本人も「勘を取り戻し切れない」まま、芸能活動を継続し、やがて映画に手を染める事になる。 

ピカソ風に言うならば『漫才の時代』『バラエティの時代』そして『映画の時代』と移り変わったといえようか。

 私はこのバラエティの黄金期から映画に手を染める初期までの1984年から1988年まで在籍し、うち2年間を付き人として傍らでプライベートも含め常に帯同していた。

結局バラエティ隆盛の時期全てを眼前で観る事が出来たのは振り返ると自分1人だけだった。

当初、ここで受けた薫陶を活かし芸能活動に邁進するつもりだったが、現在の私は芸能活動から離れている。

これまでにビートたけし本人は、様々なメディアで過去も含めた自己を語り、現在はその多くを書籍やインターネットで識る事が出来るようになっている。

軍団もテレビ番組で折に触れ、ビートたけしとのエピソードを語っている。

しかし自分がそれらを眺めつつ感じるのは、ビートたけしの魅力はそれほど簡単なものではないし、ともかく視点に疑問がある。一歩深い洞察まで辿り着いていない。

軍団が語れば自分達を擁護する意図で加工されるし、そもそも本人が語る時でさえ「主観」がどうしても混じる。

そこで、このブログでは“あの”時代を自分の視点で書きたい。それは記憶が薄れつつある自分に向けて書く。と言った主旨だ。

だから敢えて自分が観た「真実」とは言わない。

一時期、回想録として書籍化も考えた事もあり、その時は出版寸前まで話が進んだが、それをやるとたけし軍団浅草キッドと同じ次元の「過ち」を冒す事になると気付き中止にした。

それは「ビートたけしを利用して生きる」という事に他ならない。私はそれを潔しとしない。嫌悪していると言っても良いだろう。

私はそれを拒絶し軍団活動から飛び出した人間だ。そのため、今後もその手の話に乗る事もないだろう。

例えば芸人ではなくともまず、何らかの仕事で世間に認知され、その結果、師がビートたけしであると後から判明するなら、「やはりビートたけしはすごい人物なのだ」と「宣揚」される。

しかし初めからビートたけしの名や背景を借り世に出るのは「ビートたけしにメシを喰わせてもらっている」以外の何ものでもない。

本末転倒であり、その関係は「師弟」ではなくもはや「雇用」の関係と言える。

当初、弟子入りを必死に懇願した人間が結局は師におんぶにだっこしている現状に疑問がないのだろうか、私には不思議で仕方がない。

だからこそ、このブログのテーマは「真の弟子の在り方」を追い求めた私の生き方と言わせて欲しい。そしてそれは遅々としながら現在も進行中だ。

ともあれ、このブログは誰が目にする事なくとも、あの頃の自分に迫り、愚直に記することが出来れば良いと思う。

 

〈おことわり〉

本ブログではビートたけしは『殿』と表記、たけし軍団の敬称は略させていただく。