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希土色の刻

KidocolorOhmichi's Reminiscences

1984年12月於:有楽町ニッポン放送

去年までは体育の教師になるはずの自分が、その時ニッポン放送の玄関前に立っていた。

正確には道路を隔てた反対側の歩道からその光景を眺めていた。

深夜3時を回ろうとするこの時間に、おそらくはまだ10代と思しき50人ほどの女子達が電車は始発覚悟で「出待ち」をしていた。

姦しいそれらのファンへ埋没するかのように、息を殺し思い詰めた表情で立ちすくむ数人、男子の姿が視界に入る。ーー弟子志願者である。

3時の放送が終了するや、玄関口からたけし軍団達がパラパラ姿を現し、そのタイミングに合わせ白いセドリックが玄関前に停車する。

軍団は花道を作り、スムーズにビートたけしが車へ乗り込めるように段取る。

通常ファンは、その「軍団柵」ごしに嬌声とともにプレゼントを渡すなりビートたけしにコミュニケーションを取ろうとする。

「もしも自分に入門の使命があるなら必ず一発で叶うはず」

ーー若年固有の無根拠な確信を胸に自分はその「軍団柵」を超え、車の後部ドアに向かわんとするビートたけしの真正面に立ちはだかった。

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何と申し出たかは失念している。「弟子にして下さい」も図々しい。おそらくは「お傍で勉強をさせて戴けませんか」程度の、自分なりに最大限神経を使った言葉だったはずだ。

そもそも、弟子志願をするロケーションも考え抜き「弟子志願自体が図々しくはあるが、定番になっている場所の方が迷惑度は少ないであろう」との結論を出していた。

目が合い、少々困った顔をするとやおら談かんを呼ぶ。談かんからは「ボクのアパートに来て下さい」と言われた。

 

ーーともかくその日から、かの、談かんのアパート「ゆたか荘」の住人に加わった。ただしこの頃は極めて不安な毎日だった。

そもそも軍団でさえ「一門」の形もなく皆「転がり込み」のまま『たけし軍団』に形成されただけで、自分も紛れ込めたのかさえも分からない。

初日に「まあ、草野球の球拾いでもしていれば、顔も覚えられるさ」という談かんの言葉を半分信じていただけだった。(今思えば何と優しい事か。その後志願者を問答無用で断り続けた自分とは違う!)

当時はバブル期。ゆたか荘も立ち退きを迫られ、まもなく引っ越しせざるを得ない状況。

「アパートの場所を知られてもどうせ引っ越すから構わない」との考えからか、ファンに住所を公開し堂々と談かんはファンに移転費用を募っていた。

そこで、寄付後のファンを駅まで送るのが自分の役回りだった。

...その頃高校生だったファンの皆さんも現在40才代な訳で、皆さんお元気だろうか。