希土色の刻

KidocolorOhmichi's Reminiscences

嗚呼「ビートたけし一門」

ビートたけし一門」とは言うが、本人の言葉で言えば

「ウチは皆転がり込みで、一門なんてものはない」となり、実際「師匠」とは呼ばせず、本人からは「殿」と呼ぶように当時は言い渡されていた。

 

草野球で助っ人に来た事からの縁や落語界からの編入。そして直訴組。

直訴組は当初、自力で軍団から抜け出しピン芸人をと志向していた。しかし他の「中途採用組」は「たけし軍団」と言うタレント活動と受け止めていたし、そこから抜け出ようとも考えていなかった。

芸人で勝負を賭ける時期は一般的には精々1度きりで、それは既に終えている。残りのキャリアを、日本で知名度抜群なビートたけしの傍で活躍出来るならこれ以上の事はない。

 

ちなみにとんねるずは、ツーツーレロレロカージナルス同様「お笑いスター誕生」出身で、軍団の草野球に助っ人で出入りしていた。しかし当時の番組プロデューサー、赤尾氏を怒らせ、日本テレビからは締め出しを喰らい、「干されている」状況で先は見えていなかった。

当然殿は軍団に誘ったが、彼らは「もう少し自分達でやってみます」と断りを入れた。その後フジテレビの「オールナイト・フジ」でブレイクする。人生には何度も分岐点がある。長い目で見なければわからないが、全てに意味はある。

とんねるずの場合も新宿御苑の『KON』と言うショーパブに出入りしていた時に常連のフジテレビスタッフに見いだされての『ブレイク』だった。

とは言ってもカージナルスとんねるずになるはずもないしその逆もない。ひとつ言えることは「安直な判断に未来はない」と言う事だろう。とんねるずはそれを示したように思える。

そこを見極めたかのように当時のセピア若手は軍団よりとんねるずを尊敬していた。

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方や、直訴組は単純に素人だ。突然無闇にテレビに出されても、気の利いた事など出来ないーーというよりも、だからこそ勉強目的で弟子入りを志願して来たのだ。

どう勉強するのかーー実はここがたけし一門最大の問題かつ特殊な所で、まず師匠は日本で最も多忙なタレントである。故に軍団が芸事を教え授かる場面がない。そこで絡みのある番組で、それを同時に行おうとしていた。

いや、正確には「軍団に芸を教えよう」とは考えていなかったと思う、それをそのように本人が言ったとしても私は「それは後付けでしょう」とハッキリ目の前で言える。

殿は単純に“ビートたけしの番組”としてのクオリティに真剣だったに過ぎない。だから容赦もなかった。何かを教えようとしているよりも、余計な事をしでかさないように、リスク管理していた印象だった。

軍団のテレビ出演はすなわちビートたけしとの共演であり、いじられ役でもある。これを受け容れるのみだった。

当然、軍団のあらゆるリアクションは殿への“媚び”となり、それが体に染みついてゆき個性が死んで行く。あくまで“ビートたけし好み”のタレントに狎(な)れて行く。

自分は「このままではまずいな」とこの事態を深刻に受け止めていた。

反対の例で言えば『ダチョウ倶楽部』はそれまでは“やがて自然消滅するであろうタレント”に含まれていたような存在だったが『お笑いウルトラクイズ』でブレイクした。

評価がそれまで低かったが、じっくり独自の路線を歩んでいた“個性の強さ”が『お笑いウルトラクイズ』でビートたけしと絡む事で引き出された実例であり好例だ。

当時軍団は自らの地位がビートたけしによってもたらされている“現実”を頭の片隅で理解はしていても、TVの扱いやギャラから勘違いが生まれていたように私には見えた。

人間は弱い。それは結局30年後の現在まで続いているのだから。

当時口々に兄さん達は「独立」「独立」と言っていたが、次第に「さんざん世話になったのに離れるなど恩を仇で返す事になる」などと言い出し(飛び出して成功するなら師匠へ恩を返す事になるだろう!?)自己の立場を次第におかしな理屈で肯定し出した。

その実態を眺めていた自分は「修行を終えたらここから出なければ自分がダメになる」と決心した。