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希土色の刻

KidocolorOhmichi's Reminiscences

特殊な「たけし軍団」の構成

 今から思えば不思議だった。

たけし軍団(オリジナル10人)は、バンドがベースの「ザ・ドリフターズ」や「ずうとるび」でもないし、事務所が所属タレントをかき集めて作ったコント・グループでもない。

何が不思議かと言えば、プロの芸人と落語家と素人”が混在していた事だった。

当初は東、松尾(以降敬称略)から徐々にメンバーが増えた事から「たけし軍団」と括りの名前を付けた事によるいわば最初は「俗称」だった。

草野球の助っ人に来た芸人ーー既に旬の過ぎたようなその彼らに、ビートたけしが声を掛け、また立川談志一門からも師匠に頼み込んで弟子筋であるたけしさんに預けられたのが談かん(ダンカン)と言った具合で「結果的に」過去に例を見ない無茶な構成となった。

しかし、ニッポン放送の出待ち直訴で入門(正式には一門は存在しないので“入門”ではないが)した“素人”とはいえ、『弟子志願』を踏まえて入門したメンバー(東、松尾、柳、ラッシャーの4名)は当初「修行後自力で芸人になる」のが基本線だったはずで、そのために東は漫才を組み、松尾は浅草に修行へ行くなどの模索を続けていた。

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こんな調子でメンバーが増えた事から「たけし軍団ビートたけしの弟子」と簡単には言えない微妙さもあった。

大森は東に誘われコンビを組んだがぱっとせず、軍団に吸収されただけで、弟子志願をした事実はないし弟子の自覚もない。

タカ、枝豆もコントコンビのまま草野球の助っ人を経て加わり、談かん(ダンカン)は談志師匠に頼み込んで移籍して来た。義太夫は当初弟子入り志願者だったが、はじめはバンドのメンバーからの加入であり特殊だが、この何れも「軍団に加わった」意識はあっても「弟子志願者」ではない。

後に『たけし軍団ビートたけしの弟子』との一般世間の安直な認識のまま今日までずるずると来てしまった。但しビートたけしの言葉を借りて言えば、全員ボーヤであって弟子は1人もいない。

弟子志願を経て軍団に加わったメンバーには「俺の師匠はビートたけしだ」との意識はハッキリとある。そして早いところ軍団から卒業し独り立ちをしなければと考える。

しかし他の「中途採用組」は「たけし軍団でタレントとして食べて行ければいい」と考えていた様子だった。

これがなぜ一応にせよまとまっていたかと言えば「ビートたけしと言う名の重石」があったからで、いわばユーゴスラビアのチトーがビートたけしで、この人がいなくなればユーゴよろしく、即時紛争が発生し、空中分解した事だろう。

元々我の強い芸人、芸人志望者がまとまるはずもなく、そもそも先にいたメンバーからすると、途中から加わり延べのキャリアが長いからと、急に先輩風を吹かされて心中穏やかなはずもない。

そしてそれは折に触れ様々な蹉跌を生んだ。