ビートたけしの「死刑制度廃止論」
「死刑だけでは、殺しただけでは済まない。もっと生きるための努力をさせるような方法を」
こんな記事があった。
「やはり殿は違うな」と改めて感じ入った。
ーー実にセンシティヴなテーマである。
「ビートたけしファン」を自称する者でも今回は同調できなかったのではないか。
しかしそれでは殿の深淵を覗く事は到底出来得ないだろう。
なぜ、殿はそんな風に語るのか。
「死刑制度」を議論する番組で「死刑反対派」はことごとく劣勢だ。
「良識派」は、持論がたとえまったくロジカルではなく、単なるお粗末な、むき出しの感情論そのものであっても「死刑必要論」に一欠片の疑問も持たぬ様子だ。
そこへ現在では希な存在、国民的タレントである殿が、劣勢を充分に承知で(実は過去に何度も同旨の発言はしてきている)ハッキリと「死刑反対派」を標榜している。
ーー「死刑制度」は国連から「死刑制度廃止」を求められるほど、日本を「人権後進国」と捉えられる一要因でもあり、アメリカの対応(州ごとの差異と人権保護施策)を除けば世界の先進国では概ね「死刑制度」は廃されて(事実廃止も含め)いる。
同時に世界的に死刑制度と犯罪抑止効果ーーは因果関係を持たない事も広く知られている。
この議論に対しては必ずと言って良いほど「自分の家族が殺されないと分からないのだ」「殺された人間の人権はどうなるのだ」と批判が飛ぶ。これに対しては良い書籍があるので、一読してほしい。
殺された人間の人権と殺した人間の人権に差はない。あるはずもない。
「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機
- 作者: 森達也
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2013/08/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (11件) を見る
私はフランスミッテラン政権(1981-1983)で法相を務め、国民の意見の過半数が「死刑制度存置」であったにも関わらず死刑制度を廃止したロベール・バタンデールに一時傾倒した事があり、同じく「死刑制度反対派」だ。
彼はフランス国民議会、死刑廃止法案の審議でこう述べた。
結局、死刑廃止とは一つの根源的な選択であり、人間と司法についてのある一つの構想なのです。
人を殺す司法を望む人々は、二重の「思い込み」に動かされています。
一つは、完全に有罪の人間、つまり自分の行為に完全に責任のある人間が存在するという「思い込み」。もう一つは、こいつは生きてよい、こいつは死ななければならないと言いうるほどにその無過誤を確信した司法が存在する可能性があるという「思い込み」です。
私はこの歳になって、この二つの断言はどちらも等しく間違っていると思います。彼らの行為がどれだけ恐ろしくどれだけ憎むべきものであろうとも、完全な有罪性を持っていて永遠に完全な絶望の対象にならなければならない人間はこの地上にはおりません。
司法がどれだけ慎重なものであっても、また、判断をくだす陪審員男女がどれだけ節度がありどれだけ不安にさいなまれていようとも、司法はずっと人間の行いでありますから、誤りの可能性をなくすことはできません。
では俺はどう考えているかと言えば、心から日本の凶悪犯罪は減って(なくなって)欲しいと願っているが、その要因は「政治と親も含めた社会が生み出した問題」と捉えている。
決して犯罪者のみ一方的に科す考えはない。
また「死刑制度」は「人を殺す事で問題を1つ解決する」行為であり、これを例えば子供にどのように説明するのであろうか。
日本において極刑は死刑であるが「死刑さえ覚悟するなら何をやっても良い」との思考を認めざるを得ない構造的欠陥がある。
事実近年では自殺志願者が「自殺したいが自分では怖くて出来ない。しかし人を殺せば死刑になって殺して貰える」との考えで犯罪に及ぶケースが起こるにつけ、制度として既に破綻の様相も帯びている。
話を戻すが、殿の今回の発言は「誰よりも人間の業と死を深刻に考え抜いている」が故のものと私は受け止めた。
もとより自らが死に直面した事もあり軽くはない。
内容はいわゆる「矯正」の可能性であり、自らが起こした罪への償いを「生きる事で果たす」事を促すものだ。これも実に厳しい事である。
しかし多くの死刑賛同者達は、あたかもバジェットに極悪人全員が詰め込まれていて、順番に殺して行けばいつかは犯罪者がいなくなるかのような幻想を抱いているのではないだろうか。
そして「死刑執行の行為は執行人が人を殺す行為」である。そこには皆の眼前でそれが執り行われないが故の「他人事」の意識が横たわっている。
そのイマジネーションなき人間は「死刑の是非」を語る資格がないと私は考える。
そして肝心なのは、今回ビートたけしが語る「人間の“業”と“罪”と“命”」は北野作品では常に一貫して問われているテーマでもあるという事だ。
ーーいつか殿と「死刑制度」を語り合いたいものだ。