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希土色の刻

KidocolorOhmichi's Reminiscences

2016年12月9日『フライデー事件』30周年

2015年となり、来年の12月9日でフライデー事件から30周年を迎える。

10周年にあたる1996年は日本におらず、そのせいもあってか完全に忘却し、20周年である2006年もやはり思い出す事さえなかった。

今回に限ってなぜか意識したのだった。

 

改めて思ったのは、この事件をその発端から最後まで通して観ていた当事者は俺だけと言うこと。

発端からは菊池さんが関わっていたが、講談社で乱闘の場面にはいない。

殿自身は強引な取材を行った本人が以前面倒をみた人物と当初知る由もなかった。

たけし軍団も当日呼び出された時点ではそれ以前の経緯を全く知らない。

だから当日呼び出され、怒りから早口になった殿の説明を聞いても、要領を得ない表情のまま現地に向かったのだった。

ーー季節は冬。年末で年始の番組も含めた「撮り溜め」の時期で滅法忙しかった。

菊池さんから改めて「こんな事が起こっている」などと説明こそなかったが、常に太田プロと菊地さんのやりとりを耳にしている俺は、リアルタイムで状況を把握していたし「これはただでは済まないな」とも感じていた。

だから帰路の車中で「大道。軍団を四谷サンハイツに集めろ」と指示される流れで、次元は違うかもしれないが、怒りは共有していた。

ーーしかし何も恐れていなかった。

当時の自分は若さ故の無謀もあったし、先輩であった軍団とのささくれ立った関係と、常に強迫観念に駆られたような環境から次第に追い詰められ、一種「命知らず」の状態になっていた。

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ともあれ、お子さんも今では大人になり、そもそもその「発端と事情」も繊細なものがあるから「今さら掘り起こしてくれるな」と殿は思っているかも知れない。

しかしどうにも「当事者」としての責任を共有されている感覚もある。

ともかく、いずれ時が来たらまとめてみたいと思う。

放っておけば東をはじめ、誰かが適当に(きっと自分の都合を込めて)話を捏造し始めるだろうから。

まあ、東は乱闘に加わらず、たけしさんと軍団を「見殺し状態」にし眺めていたのだから、乱闘の光景は誰よりも全体を観ていただろうけども。

ーーもう一度書くが他の軍団は殴り込みの当日からしか関わっていない。

大塚署の話も不正確な話が美談めいて広まっているが、あれも誤りだ。殿といられた場面はホンの少しだったのだから。

ホント、人間は自己中心に、そしていい加減に変わってしまうものだとつくづく思う。