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希土色の刻

KidocolorOhmichi's Reminiscences

“舞台”としての原宿VILLA BIANCA(ビラ・ビアンカ)

ゲニウス・ロキ(地霊を求めて)

今回の内容はラジオ「オールナイトニッポン」のヘビーリスナーしか興味はないだろう。

1985年にラジオ“オールナイトニッポン”で「堀切ミロ主催の仮装パーティー」の件が語られた。招待された殿と軍団が番組やコントで使った着ぐるみを着て集まった顛末だ。

ミロさんがナチスの扮装で、東が栗、タカが股旅などのあり合わせの格好で駆けつけ、道端で職質を受けたようなエピソード。

その舞台が原宿VILLA BIANCAの地下にある“Club-D(クラブ・ディー)”だった。

クラブそのものの詳細はまとめたサイトがあるので確認して欲しいーーと思ったら“Club-D”は1986年からオープンなのでまだ“ピテカントロプス・エレクトス”の時代だと判明。“Club-D”と聞いていたはずなのに記憶が混濁してきたかな。

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ここVILLA BIANCAの地下スペースはピテカントロプス・エレクトスの時代からポップカルチャーの発信地だった。ミロさんは「元祖スター・スタイリスト」で、当然のように界隈で馴染みだったのだろう。

件の仮装パーティーは1985年で、この年でピテカントロプスは閉店。1986年から“Club-D”となってから俺は毎週火曜日に通うようになった。

火曜日はマルイやデパート関連の「水曜定休業界(当時)」の友人と遊んでいた。

この頃はバブル景気の真っ最中で東京全体が高揚していた。

岡崎京子氏の「東京ガールズブラボー」ではこの頃の空気感がよく分かる。

ーーそんなVILLA BIANCAだが、話はこれで終わらない。

フライデー事件」の後、写真誌のマークと当時の運転手芹沢の度重なる致命的なヘマによって当時の殿の住居“パレ・エテルネル”は世間にすっかりバレてしまい。ファン巡礼地化で連日人だかり。

出入りの住人にまぎれてオートロックを突破し内部に入り込む不埒なファンまでおり、マンション側からの苦情も限界に達し、移転を余儀なくされていた(そのくせ管理人に最後はサインをねだられた)

当時メディアからの隠れ家となっていた伊豆・湯ヶ島ガダルカナル・タカの義兄経営)の旅館に呼び出されその場で殿から「大道よぉ。次のマンション探してこい」と命令が下った。

条件は四谷近辺ーーというのも、当時はフジテレビが新宿の住吉町、日テレが麹町、テレ朝が六本木、TBSが赤坂、太田プロが四谷三丁目と、これらの場所へ向かうに便利だったのだ。

実際、同様の理由で四ツ谷周辺には芸能事務所が多かった。サンミュージックプロダクション尾木、も当時太田プロのご近所だった。

ーー殿は実に困った人で、無類の寂しがり屋であるにも関わらず、自身の成功の実感を享受したいのか、よせばいいのに広い部屋に住みたがる。

実際、俺が部屋の片付けをする際に殿が動いたと確認できる範囲は四畳半程度で、“起きて半畳寝て一畳”とはよく言ったもので、殿には昔の抜きがたい貧乏暮らしのリズムが五体に染み込んでおり、広さなど実質不要だ。

しかし仰せの通りに広い部屋に決めて住むや、日を置かず寂しくなり「よぉ誰か一緒に住まねぇか」と同居人募集をはじめる。

過去にはラッシャー板前がボーヤを務めつつ内弟子状態だった期間があるが、曰く「プライベートゼロで頭がおかしくなりそうだった」との事で、俺もボーヤを務めていない状態ならまだしも、ボーヤでありながら同居をするなど出来れば避けたい。敬愛しているが故に程よく距離を置きたい。ただ、指名されたのなら受ける覚悟はしていた。

当時軍団には既に既婚者や同棲者も居、そこを慮る姿勢が殿にはあり昔とは勝手が違う、やがて誰も挙手しない有様に「一緒に住まねえかこのやろう!」とわけの分からない脅し状態になるも、皆の「殿、殺生でござる」の切迫した気配を敏感に察知し結局諦めるのだが...

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ーーさて、次なる住居の要件はやはり一定の広さと利便性。

迎えに行く際に車を停める動線やエントランスの案配。余りファンにバレやすい立地も避けたい。ポルシェを停める駐車場も欲しい。

と言っても殿は結構ぶらりと気まぐれに外へ出歩いたり、こちらの都合に無関係に動くのでそんな気遣いも結局は毎度水泡に帰すのだが。

いろいろ不動産を回りながらリストアップし、候補を揃えて殿に示した。そこにVILLA BIANCAも入れておいた。

個人的には以前から可能なら住居は太田プロから離したい気持ちがあった。ファンが巡礼コースにしてしまい制御が面倒なのだ。

その点、VILLA BIANCAが建つ明治通り沿いの立地は車を乗り入れるには便利だ。

地下には“Club-D”があり人が集まる場所ではあるが「そんな場所にタレントは住まないだろう」と考えがちな世間を欺く目論見もあった。

懸念点は建物が古くオートロックがない点とラウンジスペースがありマンションの住人と交錯する機会が多分にある事。

それとこれは懸念点ではないが、だだっ広い部屋の片隅になぜか「バーカウンター」が据えられている。

ただし俺も半分「遊び心」で候補に入れておいたので、まず選ばれる事はないだろうと考えていた。

間取り図を次々に繰りながら俺は選んだポイントを説明していく、するとVILLA BIANCAのところで一言「なんだ?この“バーカウンター”ってのは?」と笑われ「いいよ。ここにしろ」と言われた。なんと決定である。今度は俺が驚いた。

こうなると懸念点が一気に現実のものとなり不安に変わる。これは本当に俺が同居してガードする体制が必要かも知れないーーそんな逡巡もあった。

翌日、その資料を携え太田プロに向かう。すると副社から「大道ご苦労さん。でももう決めたの。こっちから殿には言っておくから」と淡々と言われ拍子抜けした。

確かに考えるとマンションの苦情は全て事務所に行っているのだから、移転を検討して当たり前、俺の調査はただの徒労だったのだ。

それはそうとして太田プロが決めたのは麹町のエクレール一番町だった。これも日テレから200mも離れていない。ファンが日テレから流れてくるのは時間の問題だろう。太田プロのセンスと思慮のなさに呆れた。そして気が重たくなった

結局このマンションは自分が軍団を離れる事となり最後に知る殿の住居となった。

ーーこのように「仮装パーティ」から殿の住居候補にまで挙がったVILLA BIANCAだが、このエピソードはやはり俺しか知らない事だ。今思えばここに住んでも面白かっただろう。あらたなラジオのネタの一つでも出来たかもしれない。

「大道の馬鹿野郎が原宿のど真ん中にマンション決めやがってよォ」なんて具合に。

そして残念ながらVILLA BIANCAは築50年が経過し間もなく取り壊しの計画と聞く。ミロさんも亡くなり、思い出のロケーションがまた一つ消えるのだ。

東京ガールズブラボー (上)

東京ガールズブラボー (上)