希土色の刻

KidocolorOhmichi's Reminiscences

“天才”と呼ばれる事の侮辱

例えば、スポーツ界で『天才』と呼ばれる者は今昔を通じ数多であろう。

“アイツは天才だ”ーーこう呼ばれる事は一般的には最大の賛辞であろうし、皆はそれに疑いもないーー俺も殿と出会う事がなければ、同じような感覚だったろう。

ーー俺が専任ボーヤだった1985年〜1986年のフライデー襲撃事件が起こる前まで、おそらく殿が人生で最も多忙な時期であった。

年末から年始のテレビ番組表を眺めると特番の同じ時間帯の各局に「ビートたけし」の名があり、出演番組がアミダでつながっている。

裏っ側では出演が終わるやTV局間を急いで移動する。しかし同じ局の次の別番組への移動(戻る)もあり、それが未明まで繰り返される。

そして翌日最初の出演は朝の6時からと寝る時間はほぼない。殿を送迎するボーヤはそれ以上に寝る時間はなく、菊池さんは車で眠る。そんな時間を共有するうちに3人はさながら「戦友」の感覚が生じていた。

やがてバブルが終わり、それ以降のTVでお笑いタレントはもはやそんな稼働状況ではない。ダウンタウンの世代でさえ相当楽になったと聞く。

当時、どこのチャンネルを合わせても出演している殿に対し実に色々な「架空の伝説」が生まれ、それが関係者から、あるいは雑誌を通じ殿に伝わってくることがあった。

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ある時、こんな記事が週刊誌にあった。それは

ビートたけしはコントを演じる時に台本を読まず、ほぼ全部アドリブでこなせる天才!”

 と言うもので、新宿河田町フジテレビの楽屋で殿は記事に目を留めた。

俺も楽屋に置く書籍は事前にざっと目を通している(後に関連した会話が発生する事が多いため)ので、その記事に対しては好意的に受け留めていた。

出番が迫り、衣装の着替え時間である旨を告げ、楽屋に入り支度を始めた俺の背中に殿の怒気混じりの声がとぶ。

「大道ヨォ。俺ぐらい台本をしっかり読む人間いねぇよな?お前はいつも傍にいるから一番わかっているだろうけどヨォ」

そう突然声を掛けたものの、俺が何の事を言われているかわからないと気付き、件の週刊誌を俺に向かって滑らせた。

それを拾い開くや

「こんなふざけた事を書いてやがる。俺が台本を読まないでコントが出来る天才だぁ?バカヤロウ何を言ってやがる!」

と更に収まらない肚を、独り言のようにぶつくさと口にしつつ着替えに入った。衣装を着せながら俺はなぜかを思索し続け、やがて理解した。

ーー殿は当時、あまりの過密スケジュールに「菊池さんさァ!オレ忙しくて死んじゃうよ!仕事減らしてくれよ!」と毎日悪態をつくが、いざ楽屋に入り台本を読み込み内容が悪いと、スケジュールが大幅に狂うことも構わず、即座に作家を集め一緒に書き直しに入り自分で忙しくしてしまう。完全に姿勢が切り替わるのだ。

ビートたけし』の名で世に出す仕事に一切妥協がないーーと言うより「どこまで面白く出来るか」を常に極限まで突き詰め、命を懸けているーーといっても大げさではない。

殿は努力の人だ。「一定のセンスを持つ者がたゆまぬ努力でトップを掴んだ」というのがその姿だと思う。もちろん『努力』を厭わないのはそれが一番好きな仕事ではあるにしても。

つまり、必死に努力を重ねる者からすると、それを「さしたる努力をせずとも天性の能力だけで結果を出せる天才」と簡単に呼ばれてしまう事はこの上なき侮辱なのだ。

しかし我々凡人は「努力をせずとも秀でた結果を出せる者=天才」と単純に考えそれを相手に冠する事で「敬意を払っている」と思い違いをしている。

そもそも一流の人物は殿に限らず自己の取り組みを「努力」や「苦労」と感じていない。

例えば、サラリーマンが好きでもない仕事を「喰うために苦労をしている」状況とは全く違い、好きな仕事なので当たり前の労力と捉え、とことん取り組んでいるが、傍から見ると命を削ってるが如くの姿を当人はまるでそれを自覚していない。

結果を出すために当然のプロセスであり「苦労」とも思っておらず、だから当人に「ご苦労をされているんでしょう」と尋ねても当惑の反応しかない。本人には「当たり前の“取り組み”をしている意識」しかないのだ。

しかしそこを洞察できずに思い違いし「努力をせずとも出来てしまう天才」と簡単に言われると「ふざけるな!」となる。

従って誰かに対し簡単に『天才』と口にしてしまう者は、対象者の奥底に横たわる努力や本質を一切理解も洞察も出来ていない愚かさ、浅薄さを露呈させているだけなのだ。

だから俺も世間で『天才』とあまりにも軽薄に使われている事をその一件以来、危惧しながら半ば蔑み混じりの眼(まなこ)で眺めてしまうのだ。

 

たけし吼える!

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