三遊亭圓生とビートたけしに見る“はげまし”考。
ビートたけしという「人物」については以前から“口は悪いが本当はやさしい人” といった調子で多く語られていた。
ただし実際それほど口が悪いかと言えば、そもそも江戸っ子は一様に裏表がなくストレートにモノを言う。つまりそれが普通なのだ。
もとより普段の殿は人見知りで口数は少ない。TV出演時でも一時期ほど世に不満がなくなったのか、地位的満足感を得た故か、無闇に批判的な言動は減っている。
但し、俺のボーヤ時代には遠慮なく「感情まるぶつけ状態」だった。だが“弟子”とは身を師匠に預けているのでそんな状況も当然だと予め納得していたのだった。
──“ビートたけしの人柄”を皆が語るならそれこそ「受け手」により千差万別だろう。それは軍団内でも──というか俺と他のメンバーは相当違う。
──さて、三遊亭圓生師匠の著作に『浮世に言い忘れたこと』がある。談志師匠に感化されている俺からすると圓生師匠は真面目かつ厳格すぎて、だからこの著書では「らしい」事柄だらけでもある。だから敢えて皆に問いたい趣旨もある。
この中では講釈師初代神田伯山とその弟子の「そば屋」での逸話を挙げている(余談だが人気講談師、神田松之丞が2020年2月に「伯山」の六代目を襲名している)
──殿は俺の前でよく言っていた。
「芸人やタレントで弟子(ボーヤ)を外に待たせ、テメエだけメシを食って、帰り際に“お前も食いたけりゃあ早く自分で出世して食いな”なんて言ってる奴がいるが、最低だ。大っ嫌い。俺は弟子にメシぐらい食わせてやる」と。
俺も当時は素直に「そうだよな。俺は良い師匠についたな」と受け止めていた。 だがしかし、あれから30年が経ち、俺も人生経験を重ね。そこで改めてこの逸話を読むと考え方はむしろ逆になっている自分がいる。
三遊亭圓生師匠が紹介するところの、神田伯山の「そば屋」の話を要約すると、とある寒い時分、師匠と末弟子がそば屋に入ったものの、伯山は自分の分だけ注文し平らげた上で「食いたかったら芸を勉強しなよ」と言われた。
その末弟子は帰宅後父親に「師匠に失望したので講釈師をやめる」と漏らす。するとーー
父親はぱっとはね起き、師匠の家の方角へ両手をつき「先生、どうもありがとうございます。よく伜(せがれ)をはげまして下さいました。どうかこの上ともよろしくお願い致します」と独り言を言う。
「何しているんだい」
「お前、講釈をやめたい、先生は慈悲ないといったな。それはとんだ見当違いだ。お前をよくしようと思うからこそ、先生はそうおっしゃった。
かけそばを一杯食わせる、先生はそんなことはよくわかっている。しかし、お前にわざと食わせなかったのは、他人の銭でおごってもらおうなんて、そんなけちな料簡を出すなよ。食いたけりゃあ一生懸命勉強して、早く一人前の芸人になれ。そうすれば二十杯でも三十杯でもてめえの銭でいくらでも食えるんだ。それだけの腕になってみろ、とはげまして下さっているんだ。
それをやめるなんてとんだ料簡違いだ。お前がその料簡を改めないんなら、今日限りさっさと出て行け」
「お父っつァん、すいません。おれの考え違いがよくわかりました。これから心を入れかえて、一生懸命やりますから」
お父っつァんの言ったことを肝に銘じたこの小僧は、一心不乱に勉強した。そして、兄弟子が八十何人いたのを飛びこして、末弟子でありながら二代目神田伯山を継いだ。のちにこの人は、神田松鯉となった。
──考えると弟子にメシを食べさせてしまう事は簡単だ。殿は根っからの江戸っ子で、まどろっこしい事は苦手だし、「食わせない」など無粋の極み。生理的にはそうなるのだろう。殿は日頃から
「堕ちる奴は勝手に堕ちるし這い上がってくる奴は勝手に上がってくる」
とうそぶき「弟子を育ててゆこう」と言う熱心な姿勢はほぼなかった。やむを得ない。それはまず、殿自身が超売れっ子でそんな余裕を持てぬのっぴきならない現実があった。
とはいえ、確かに殿はセピア世代までには「タップ」「ジャグラー」「日本舞踊」などを身につける機会を与えてくれた(練習場とプロの先生を用意し任意のレッスンがあった)
番組にも出演させ「タレントの真似事」は経験させてくれた。今から思えば自身の番組に軍団を出演させる格好で指導出来るとの目論見があるいはあったのかも知れない。
実際、古典落語を覚え師匠が稽古をつける「指導の型」がある落語と違い、漫才師の弟子は「稽古をつける」プロセスはないに等しい。傍にいたところで「何を学ぶのか」は実に高度な課題で個々の姿勢と才覚・資質に依る。俺も「OH!たけし」のコントで僅かに指導に預かれる“ラッキー”はあった程度。しかし「仕事への姿勢」だけはボーや修行でしっかり学び得た。
──とどのつまり「そば屋」の逸話は師匠がしっかり“ねらい”をもち弟子に薫陶を与えている部分ではある面羨ましくもあるし「師匠と弟子」の関係が端的に表現されている。一般的に師匠の評価の大きな一面はよき弟子を出したか否かであり、この末弟子は後に成功し八十人抜きで二代目を襲名している。
方やたけし軍団は「他人の銭でおごってもらおうなんて、そんなけちな料簡」でそれに疑問さえ持たぬ人間ばかりが集まっている気がしてならない。
とはいえ、深見師匠もどちらかと言えばメシを弟子に喰わせる人物であって、その弟子である殿は大成している。こうくると師がどう指導の指針を持っていても結果的に“受け止める側”の弟子次第、本人の資質なのか。と「もとより師に問題がある事など本来ない」という結論になるのであろうか。