希土色の刻

KidocolorOhmichi's Reminiscences

“もう一つの”たけし軍団達へ

俺が在籍した約4年間で、おおよそ100人以上の弟子入り志願者を断っていた。

願いを果たせなかった志願者達。そんな彼らを殿はどう捉えていたのか。

ーーこのブログを書いている理由のひとつには、殿から何度も言われていた、“ある言葉”に絆(ほだ)された、一種の「責任感」とも「義務感」とも言える感情がある。

お前らはオレのところに来られなかった奴らの「無念」と「怨念」を背負っている事を絶対に忘れるんじゃあねえぞ。それを肝に銘じてしっかりやれ。

 当時弟子入り志願者を断っていたのは、殿からの厳命だった。

殿は生粋の江戸っ子。頼まれたら断れない性分。(俺も直談判出来たので、なんとか紛れ込む事が出来た)だから俺やダンカンを担当に立て、その対応をさせた。

そんな弟子入り志願者達は殿に憧れ、熱病患者のごとく日本国中から集まってきた。

深夜の有楽町ニッポン放送前の路上で、脳天気に嬌声をあげながら「出待ち」をするファン群に身を潜めながら機を伺い、あるいは各種イベント会場の出口付近で佇み、北の屋の店先で、とうに終電もなくなった時間まで、書き溜めたネタ帳を脇に抱え、思い詰めた面持ちで、殿を待ち構えていたのだった。

それは「ついこの間までの自分の姿」でもある。

中には女性もいて、この手の者は不思議な事に「私が考えたネタをなぜかたけしさんがコントで使っている」などと言い出し、自己の特異性を強調しようとする。

そして「座付き作家になりたい」と頭を下げるのであった。

また、俺の知人から連絡があり「◯◯という人が今たけし軍団にいるでしょう?」と、聞いた事のない名が出て来る。

察するところ「たけし軍団に入る!」と大見得を切って故郷を後にし、直訴を前に怖気づいたのか(これは正常な感覚だと思う)定かではないが、結局果たせずじまいのまま、引っ込みがつかなかったのか「たけし軍団に入った」と虚偽報告をしてしまったのであろう。

わからなくはない。殿を目の前にして直訴するには一種の「狂気」が必要だ。なかなか実行に移せはしないだろう。

ーー殿が不在時にマンションを訪れた者もいて、預かったネタ帳を殿に見せると「お。こいつ面白いぞ。連絡取れ、なんならお前コンビでも組め」と言われた

ネタを書いた奴が俺と組みたいかは別として、ネタ帳の裏に記された番号に電話を架けるとなぜか出ない。時間帯が悪かったのかと思い、時間帯を変えて3日間連続して架けたがとうとう出なかった。

不思議にこういう事はままあった。

物事は結局タイミングで、例え殿が興味を示したとしてもすれ違ってしまう。そこには我々の与り知らぬ何らかの力による「思し召し」があるのかもしれない。

ーー少なくとも自分が知る限り、後に「弟子入りを断られたので自分でやることにしました」とデビューした者の話も聞かないので、これら志願者は厳密に言えば「お笑いをやりたい」というより「弟子入りに名を借り、常に傍に居たいようなコアなビートたけしファン」であったと思うのだが、ただしそれは現在総称するところの「たけし軍団」もそう変わりがない。

また、目先では入門が叶う事が最高の喜びであろうが、人生タームとして見た場合には決してそうではない。叶った事で流され、下らぬ人間になった可能性も大いにあるーーそれは何より現在のたけし軍団の姿を見ればわかるだろう。

ーー殿が「断れ」と厳命したのは既に20人近くまで増えた、たけし軍団を含めた「ボーヤ」をこれ以上は面倒を見きれないという、単純にそれだけの理由だ。

たけし軍団には別に入門条件もセレクションもなく、井手、カージナルス等、殿が直接声を掛けた「キャリア加入組」以外は決して「選ばれた者」ではない。

「お前らはたまたま順番やタイミングが良かっただけ」ーーと殿は常日頃からそれを口にし、さらに前出の言葉を繰り返し「戒め」として軍団に叩き込もうとしていた。

しかし、すっかり狎れきった者たちには馬耳東風で、それらしいポースは取るものの、真摯に受け止めた者は見る限り皆無だった。

だから幾度となく投げかけられた殿のこの言葉を、結局今現在、誰も語れない(多分忘れている)のだと思う。

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殿に憧れ「金を支払ってでも傍に置いて欲しい」とまで考えていたであろう筈の彼らは、今やその憧れであった殿を事実上一方的に「利用し」のんべんだらりと「喰わせて貰っている」だけの存在に成り下がっている。

ーーでは、殿自身はどうだったろう。深見師匠に「宣揚と報恩」を「生涯の本懐」に置き、逆風が吹き荒れ、孤立無援の中、己を潰さんとする圧力を跳ね除けながら歩んで来たではないか。

全員がそれを知識としては知りつつも、一人としてそれを五体で受け止め「同じ道」を歩もうとはしない。

 彼らはすっかり感覚が麻痺し、中には「俺たちがいなくなれば殿は寂しがる」などといい、自己の立場を肯定しようとする者さえいる。

自分の傍に置いてしまった事で、すっかり弛緩しきった者達の様子を眺めながら、殿はきっと、これまでに断られた弟子志願者達がその場で抱いたであろう「無念さ」に思いを馳せていた。だからあの言葉を頻繁に口にしたのだと思う。

殿の眼(まなこ)には両者の差はなきに等しい。

また、俺の発言が一貫してたけし軍団に厳しい理由もここにある。

俺はこう思う。むしろ内部におらずとも、また他の職業に就こうと、テレビや書籍で殿の言葉や哲学に共鳴し、それを胸に生きるならばその者こそ「真の弟子」であろうと。そして「私の師匠はビートたけしだ」と誰に対しても堂々と言い切って欲しい。

そんな話を聞けば殿は間違いなく喜ぶだろう。

ーー俺はこの殿の言葉を忘れた事はない。それが頭にあったが故に4年のボーヤ期間を経、漫才コンビを組み殿の許から離れる決心をした。

自分が世に認められ、その俺が「実は」ビートたけしに薫陶を受けていたのだと「宣揚」せんがために。

しかし結果的には成功を得る事はできなかった。だからこれまでに自分が断ってきた弟子入り志願者たちには何かしら当時の事を報告をしたい思いがある。

いかんせん主観的な筆ではあるが、そこにかつて「弟子志願」という熱い想いを抱いた時代を振り返り「自分もいたかもしれない光景」を今後も想い浮かべてもらえたらと思う。

ビートたけしのみんなゴミだった

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