希土色の刻

KidocolorOhmichi's Reminiscences

『地位も名誉も(金も)ないのは幸福だ』という幻想

ーー彼にとって、南ロンドンの街街は、楽しくて、愉快な、そしてまたすばらしい冒険の舞台だったのではないか・・・・・・わたしには想像できる、自分の家へかえりながら、この見知らぬ人間の家で、いったいおれは何をしているのだと戸惑っている彼の姿が。

とにかく彼がこれこそ自分の家と思えた唯一の家は、ケニントン・ロード裏のあの三階の部屋だけだったのだ。

ある晩、わたしは彼とロサンゼルスを散策していて、いつのまにか、同市でも極貧街へ足を踏み入れていた。汚らしい長屋アパート、けばけばした安っぽい商店、そしてそこでは貧乏人がやっと毎日買えるだけの商品が並べられている。

すると、チャップリンは急に顔を輝かせ、はずんだ声で叫んだのである。

『ねえ、これこそが本当の生活なんじゃありません?ほかはみんなインチキですよ』 

[原註]わたしが言ったとされているこの言葉は正しくない。そのときわたしたちはメキシコ人街にいたのだが、実際にわたしが言った言葉はこうだった

『ビヴァリィ・ヒルズよりはね、ここのほうが活気がありますよ』

   (新潮社:チャールズ・チャップリン著『チャップリン伝』より) 

 

これに対しチャップリンはこうコメントしている。

他人に対し、貧乏というものを、さもいいもののように見せようとするこの種の態度は、まことに困りものである。

寡聞にしてわたしは貧乏に郷愁を感じたり、そこに自由を見いだしたりしている貧乏人というのに、まだ会ったことがない 。

多くの 一般人が著名人に対して寄せる『思い込み』として多いのは「著名人は名声を得たことで失ったものもあるに違いない。特に貧乏だった頃より自由が失われ、きっと、時折その頃を懐かしがっているのだろう」ーーといった願望的幻想と思う。

この感覚は日本人にも根強く、戦後蔓延した共産・社会主義思想の根底にある『清貧思想』即ち為政者による「貧乏を耐えさせる方便」だったのだが、これが現代では名残だけが在り続けて、それどころか美徳の域に達している。

この反動で日本人は「金儲け」を「悪」と直結させる傾向もうかがえる(本当はお金が大好きなのに)

これらの背景からか、ともかく「地位も名誉も金もない事が幸福だ」という方向へ持って行きたがる。

この著書でもチャップリンはこれに続く文で言下に否定している。

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この幻想はビートたけしへも抱かれていまいか。

東京の下町足立区梅島生まれ、浅草に育てられた芸人。

確かにこれは紛れもない事実で、この「庶民性」がビートたけしが愛される要素の1つでもある。

しかし、自分がボーヤだった頃は足立区はおろか、浅草へもいかなる郷愁も抱いてはいなかった。

それは当時のタイミングもあるだろうと思う。

1985年からやっと殿は自分がやりたい事を自在にやれる状況が整い、それがすべて大当たり。

「人生これから」との大いなる意欲を抱く人間は振り返らない。当然の事だろう。

8時台の番組はすべて視聴率トップと、日本に「ビートたけし時代」が到来したといってもよい状況。

ーーしかしそんな最中、1985年の冬にこんな事があった。

細かなシチュエーションは忘れたが、あれは冬の寒い夜だった。

羅生門でメシを喰って、軍団とは散会。殿と2人徒歩でマンションへ向かう道中。ボーヤも1年を過ぎ、この頃殿は2人きりになると、ちょっとした愚痴を漏らしたり、時には軽い議論をするような距離感になっていた。

そして四谷四丁目の交差点、信号待ちだった。殿はそこそこに酒が入っていた。

「こんな寒い夜には思い出すんだよ。昔カネがなくて、友達んとこに行ってもよ、誰もカネ貸してくれなくてなあ。寒くて腹減って辛くてなあ、だから冬の夜ってのは大嫌い。」

と独り言のように言っていた。

殿は元々、自己への贅沢など興味もない。服はスタイリストから貰えるし、フグなど値の張る店に食事へ出かけても、一口食べるや「うまい!おまえらも食え!」と皆に勧め、軍団が喜んで食べている姿を見るのが楽しいような人なので、単純に「毎日カネを心配しないで暮らせる」だけで充分満足だったのかも知れない。

売れない頃は出勤時にコーヒー代を幹子さんにねだると「カネがない」とキツく拒否され、ケンカした話も聞いた。

また、これは別の機会に書くが当時は「昔のどん底時代に戻ってしまうのではないか」と常に恐怖心に駆られながら努力を重ねており、それはまさに身を削る「闘争」で、その状況たるや連日凄まじかった。

「過去への恐怖」を裏付ける場面ならいくらでもある。

無名時代のTV関係者のツービートに対する扱いも酷いものだった。

そんな殿は絶対に「カネも名誉も要らない」とは言わないだろう。

一般庶民は自己を肯定したがる傾向が強く、相対的な幸福感に生きるが故に地位のある者、富める者へ願望的幻想を抱きすぎる。

もとより、今の殿なら「貧乏で無名?やなこったい」と本音を述べても誰からも文句は出ないだろうが。

チャップリン自伝 上 ―若き日々 (新潮文庫)

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