希土色の刻

KidocolorOhmichi's Reminiscences

消えた『ホワイト』な景色(1986年)

振り返るに軍団セピアまでと、それ以後のメンバーとの間には決して小さくない「時代の切り替わり」ーー気取って言えば“カイロス(主観的・内面的な時間)”が横たわっていた。記憶に残る情景もこの前後ではまるで違う。 以前会ったガダルカナルタカは「殿は今…

“もう一つの”たけし軍団達へ

俺が在籍した約4年間で、おおよそ100人以上の弟子入り志願者を断っていた。 願いを果たせなかった志願者達。そんな彼らを殿はどう捉えていたのか。 ーーこのブログを書いている理由のひとつには、殿から何度も言われていた、“ある言葉”に絆(ほだ)された、…

“天才”と呼ばれる事の侮辱

例えば、スポーツ界で『天才』と呼ばれる者は今昔を通じ数多であろう。 “アイツは天才だ”ーーこう呼ばれる事は一般的には最大の賛辞であろうし、皆はそれに疑いもないーー俺も殿と出会う事がなければ、同じような感覚だったろう。 ーー俺が専任ボーヤだった1…

HAIR DIMENSION(ヘアーディメンション)とビートたけし

4月19日の報道でHAIR DIMENSIONの破産を知った。 1990年代の終わり頃に巻き起こった「カリスマ美容師ブーム」の“火付け役”と言われた有名店だった。 www.fashionsnap.com HAIR DIMENSIONと言えば一世を風靡したCHIKAさんが関わった青山店が有名だが、本店は…

“舞台”としての原宿VILLA BIANCA(ビラ・ビアンカ)

今回の内容はラジオ「オールナイトニッポン」のヘビーリスナーしか興味はないだろう。 1985年にラジオ“オールナイトニッポン”で「堀切ミロ主催の仮装パーティー」の件が語られた。招待された殿と軍団が番組やコントで使った着ぐるみを着て集まった顛末だ。 …

『たけしの挑戦状』発売30周年に寄せて

歴史的な『クソゲー』として必ずその名が挙がる『たけしの挑戦状』が今年の12月10日で発売30周年を迎えるという。 今回確認するとなんとフライデー事件翌日の発売だ(笑)こんな事はすっかり忘れていた。 このゲームに関してなら、当時ボーヤで最初から最後…

呼び捨ての粋人(すいじん)〜追悼・大橋巨泉〜

永六輔さんに続き、7月12日に急性心不全で大橋巨泉さんが亡くなった。 『大橋巨泉を偲ぶ会』では殿が巨泉さんへの想いを語っている。 俺からみても、殿にとって巨泉さんは本当の意味で“特別な存在”だったと思う。 俺がボーヤに就いた1985年には『世界まるご…

『地位も名誉も(金も)ないのは幸福だ』という幻想

ーー彼にとって、南ロンドンの街街は、楽しくて、愉快な、そしてまたすばらしい冒険の舞台だったのではないか・・・・・・わたしには想像できる、自分の家へかえりながら、この見知らぬ人間の家で、いったいおれは何をしているのだと戸惑っている彼の姿が。 とにか…

春一番が語っていた“ビートたけしの格好良さ”

春一番と毎日のように遊んでいた頃、彼の言葉で今でも記憶に残っているものがある。 ーー彼は殿を尊敬していた。 もちろん彼は本来、片岡鶴太郎の弟子なのだが、彼は日頃から「鶴太郎が死んでも泣かないが、猪木さんが死んだら俺も死ぬ」と明言していたように…

1986年刊 三遊亭円丈著『御乱心―落語協会分裂と、円生とその弟子たち』に見る「似た光景」

『御乱心―落語協会分裂と、円生とその弟子たち』は1986年刊で三遊亭円丈師匠が使命感をそのままぶつけたような、気のこもった本で現在は絶版。中古でしか入手は難しいと思う。 だが自分にとっては今でも格別の思いがある一冊だ。 御乱心―落語協会分裂と、円…

ビートたけしは「俳優いかりや長介」の夢を見るか?

natalie.mu 少し前のものだが、このインタビューの雰囲気がいい。 内容というより、二人の距離とその間を漂う空気感が。 西島さんは別な場で「私はたけしさんの弟子です」とも語っているが、実際『弟子』と名乗るにふさわしい方だと思う。 『弟子』とは師に…

2016/1/10デヴィッド・ボウイ死去〜個人的な想いを寄せて〜

amass.jp/11 誰しも様々な縁やキッカケを重ねながら人生を歩んでいる。 自分もそれは同様で単純ではなかった。 小学校時代からロックに傾倒した自分は“Ziggy & Iggy”の頃からデヴィッド・ボウイが好きだった。 そしてビートたけしへの念いを胸に上京した1984…

たけし軍団発“幻”のアイドル“トリオ”

1985年の年明け早々、殿へ水島新司先生から相談があった。 「ウチの長男(新太郎)が今年高校卒業で、役者の勉強をしたいと言っている。たけしさん、どこかいいところ(劇団や養成所)知らないですか」というものだった。 それに対し「だったら、劇団じゃないで…

2016年12月9日『フライデー事件』30周年

2015年となり、来年の12月9日でフライデー事件から30周年を迎える。 10周年にあたる1996年は日本におらず、そのせいもあってか完全に忘却し、20周年である2006年もやはり思い出す事さえなかった。 今回に限ってなぜか意識したのだった。 改めて思ったのは、…

秋山見学者の記憶

www.nikkan-gendai.com 「大道さん。こんなのが出てました」とわざわざ教えてくれた奴がいて、この記事を知った。 秋山は芹沢とほぼ同期。 それも当たり前で、ニッポン放送の出待ちで弟子志願者同士仲良くなって、芹沢が先に紛れ込んで、秋山と連絡を取り続け…

「あるあるネタ」の元祖はビートたけしなんだよ。

現在、お笑いで「あるあるネタ」ってのが、いちカテゴリとして確立された感がある。 もはや一般人でも「ナントカあるある」として日常生活にも溶け込んでいるように思う。 しかしこれの元祖がビートたけしである事はあまり(まったく?)知られていない。 俺…

「龍三と七人の子分たち」と「忘れられぬ人々」

映画『龍三と七人の子分たち』公式サイト|10.9 DVD&Blu-ray ON SALEwww.ryuzo7.jp 「龍三と七人の子分たち」は結局仕事が忙しく見逃した。 ただしメディアで大体のあらすじは確認した。 ところでこの映画のあらすじを聞いて、昔見た映画と重なった。それは…

ビートたけしの「死刑制度廃止論」

<a href="http://news.mynavi.jp/news/2015/07/07/152/" data-mce-href="http://news.mynavi.jp/news/2015/07/07/152/">ビートたけし、死刑反対の理由語る「殺しただけでは済まない」</a>news.mynavi.jp 「死刑だけでは、殺した…

“ジキル菊池門下生”

今回は“ジキル菊池”こと太田プロマネージャー、菊池さんの事を書きたい。 そもそも外部の人間は、ビートたけしと菊池さんの関係は分かるが、そこにボーヤが加わった3者の関係については、よくわからないと思う。 まず断っておくが、何らかの形でビートたけし…

巨星墜つ〜春花直樹(春一番)に捧ぐ〜

春一番が、7月3日未明、就寝中に肝硬変で亡くなった。47才だった。 昔から酒が好きだった彼は、飲み過ぎがたたり腎不全で入院。そこからすい臓、肝臓、腎臓と内臓を全部痛め、それが原因で体重が激減。ニュースによると最近骨粗しょう症にもかかっており満身…

亀頭白ノ助がいた景色

殿がセピア以降で増え始めたメンバーを集め“浅草キッドブラザース”と名付け、強制的に浅草行きを命じた中に亀頭白ノ助という男がいた。 当時のメモを読むと「亀頭白ノ助」「エイヘイサイク」「ソークメナオ」ともなっており「どれか選べ」といった状況で殿自…

ビートたけしの“ボーヤ”[Phase1]

結局芸人の道を歩まず、一般人としての生き方を選んだ自分にとって、この時代の出来事で何一つ誇れるものはない。 しかし唯一他の軍団にはない勲章はある。それは当時の太田プロ、鬼の菊池マネージャーからの「ボーヤ卒業」の一言だ。 自分は現在も、過去の…

特殊な「たけし軍団」の構成

今から思えば不思議だった。 たけし軍団(オリジナル10人)は、バンドがベースの「ザ・ドリフターズ」や「ずうとるび」でもないし、事務所が所属タレントをかき集めて作ったコント・グループでもない。 何が不思議かと言えば、プロの芸人と落語家と素人”が混在し…

嗚呼「ビートたけし一門」

「ビートたけし一門」とは言うが、本人の言葉で言えば 「ウチは皆転がり込みで、一門なんてものはない」となり、実際「師匠」とは呼ばせず、本人からは「殿」と呼ぶように当時は言い渡されていた。 草野球で助っ人に来た事からの縁や落語界からの編入。そし…

1984年12月於:有楽町ニッポン放送

去年までは体育の教師になるはずの自分が、その時ニッポン放送の玄関前に立っていた。 正確には道路を隔てた反対側の歩道からその光景を眺めていた。 深夜3時を回ろうとするこの時間に、おそらくはまだ10代と思しき50人ほどの女子達が電車は始発覚悟で「出待…

拝啓 “あの”時代の自分へ

私が1984年12月に、有楽町ニッポン放送で入門を申し出てから早、2014年で30年の歳月が経とうとしている。 当時ビートたけしは37才。漫才から離れ、たけし軍団とともにコントや新たなバラエティの途を模索していた時代。しかし、世間の評価はまだまだだった。…

You Just Haven’t Earned It Yet, Baby

“If we open a quarrel between the past and the present, we shall find we have lost the future” (Sir Winston Leonard Spencer-Churchill)